洲崎花村の志の田蕎麦、歴史を食べる
何も知らなければ普通の蕎麦屋
このお店語るにはまずこの土地の歴史から
今は江東区東陽町だけど昭和42年までは洲崎と言う地名だった。
今は暗渠となっている川にかかる洲崎橋を渡ると、そこは華やかな花街。
その歴史的映像は洲崎パラダイス赤信号と言う昭和の映画で見ることができる。
その橋のたもとにあった蕎麦屋
それがこの店。
今はもうこの店と洲崎橋の橋名板が小さなモニュメントとしてこの地の歴史として残るだけになってしまった。
割り箸の袋に 洲崎 花村 と書いてある。
志の田(しのだ)蕎麦がこの店の名物。
「しのだそば」は「きつねそば」の言い換え。
なぜにきつね蕎麦をしのだ蕎麦と言うか調べたところ、信田(しのだ)の森の伝説と言う言い伝えが昔話としてある。
信田の森は実際に大阪和泉市にある場所で信田稲荷も存在する。この伝説は江戸時代に歌舞伎や浄瑠璃の題材にされてたので全国的にも有名な伝説。
それで油揚げをトッピングした蕎麦をきつね蕎麦と言うようになった。
江戸っ子の洒落で「しのだ」になったのだろうか。
これについては調べても出てこなかった。
本来は「信田」なのに「志の田」なのも謎。
濃いつけ汁にカラッと揚がった油揚げと揚げ玉とネギが入っている
落語で江戸っ子は気が短いから蕎麦を半分くらい浸して、すぐにすすって食べるために濃くしてるんだとか聞いたことがある。
今やただの住宅地である東陽町。
花街として洲崎が繁栄していた頃の歴史を残している唯一のお店となって今も営業している。